職員室の声

雑感(上猶)

2020-02-04

 本校の中学1年生から3年生まで使用しているユメタン(英単語集)の執筆者である木村達哉先生と、もう10年ほど前になるでしょうか、天文館で飲食をしたことがあります。木村先生は灘中学校・高等学校に勤務されているので、先生の学校のことを色々と尋ねてみました。有名な中高一貫校なので、学校独自の方針なりについて・・・。

 

 木村先生曰く、「中1から高3まで6学年それぞれの学年が独立しており、言うなれば、6つの学校があると考えてもらえばいい。」と話されました。中1から高3まで学年を担当する職員は同じ顔ぶれでそのまま持ち上がる。つまり、当該学年を中1入学時から高3卒業時まで面倒を見ることになる、そのため、学年として責任をもって、独自に学年運営(教科指導を含めて)をしていくため、他の学年に関与することはないから、というような理由からでした。

 

 同一学年を6年間同じ担任団で持つということは、6年後の結果に全責任を負うということなので、それはまた非常に気の抜けない厳しい状態にあることがわかったものの、そうはいっても、同じ学校である。そこにはやはり学校全体を貫いている伝統なり、何かあるはずだとは思ったものの、その場ではそれ以上は探ることはできませんでした。

 

 たまたま、最近、年輩の卒業生が同校について言及しているものを目にしました。そこにはこう記してありました。

 

 当時、灘中・高には木製の机とイスがつながって一体化している「机イス」があり(現在は不明)、座り心地は最悪だったようです。机とイスがくっついているので、机とイスの間隔を自分の好みに合わせて調整することもできず、座面もただの木の板で、形状も単なる平面だったとのこと。

 

 たかがイス、されどイス。ただ、それには灘中・高の教育理念、教育の狙いが凝縮されていたという説明が、当時の勝山校長の言葉を借りてなされていました。

 

 「趣味としての勉強なら学ぶことを自分で選べるわけだから、楽しいことばかりかもしれませんが、受験勉強というのは、学ぶ内容を他人に押し付けられるものなので、すべて楽しいというわけにはいかないのが当然です。だからこそ、合格するには自分の気持ちに制限をつけ、我慢をして他人に合わせる力が必要になる。いくら天才でも、自由気ままな勉強しかできなければ受験には失敗します。君たちには、粘り強く努力できる秀才を目指してほしんです。」と語られたそうです。授業中、「机イス」に座り続けるのはその象徴だということです。しかし、話はそこで終わっていません。勝山校長は「机イス」に込められたもう一つの狙いも話されたとのこと。

 

 「休み時間など自由時間は、運動するなり歩きまわるなり、あるいは立ち話をするなり、とにかく学校から強制された席から離れて、自分の意志で活動する行動力を身につけるべきである。いつもイスに座りっぱなしの自発性がない生活をしていたら、大学受験でも応用問題は解けなくなる。机イスが不快なのは、自由時間まで座り込ませないためでもある。いつもイスに座っているようではろくな大人にならないと思いますよ。授業中と休み時間のメリハリをしっかりとつけてほしいんです。」と語気を強めて語られたそうです。

 

 教育方針が、「机イス」にも込められていたということですね。

 

 この卒業生は現在、医者としてメンタル面で不調に陥った受験生を診療されているそうですが、こういった教育方針が、今ではますます重要になっていると肌身に感じておられるそうです。頭はいいのにメンタル面で不調に陥った受験生の心理を分析していると、現代っ子に特有の問題が浮かび上がってきたが、問題点はやはりそこにあると喝破され、その後具体的に説明を展開されています。途中を端折りますと、先ほどの灘高の例はあくまでも一例でしょうが、我慢と自由の両面を尊ぶということは必要であるということ、短い時間に限定したうえでその時間は姿勢を正して徹底的に集中し、我慢して勉強する能力を身につけること、同時にそれ以外の時間は自由自在に自分の行動をデザインし、身体もしっかり動かすこと、このメリハリをつけることは大きな力を与えてくれると薦めておられます。

 

  もともと灘高校は、講道館柔道の創始者、嘉納治五郎先生を初代顧問に迎え、柔道の精神を尊ぶ教育を実践する学校として1928年に誕生し、今でもこの理念は受け継がれ、運動によって心身ともに健康を維持することで、受験勉強も効率よく成し遂げられると教えられ、実際、中学1年から高校1年まで柔道は必修だそうです。本校の場合も空手道を必修としており、相似していますね。

 

 伝統は、一朝一夕に出来上がるものではありません。やはり、日々の実践の上になっていくものですね ちなみに、我慢と自由を尊ぶ精神の表れの「机イス」ですが、その「机イス」には合理主義に基づく大切な目的もあったそうです。蛇足ながら付け加えますと、それは勉強の準備の時間を削減できることにもつながったとのことです。イスの部分がロッカーになっていて、各教科の教科書、教材やノートをすべて入れておけるスペースがあり、座面がロッカーの蓋になっていて、次の教科の教科書とノートを取りだす準備に必要とされる時間は、ものの10秒ほど。無駄な時間の削減につながり、究極ともいえる合理的な収納システムになっていたそうです。

 

 

(文責;上猶)